「人をダメにするソファ」というキャッチコピーで人気を博したアメリカ生まれのYogibo(ヨギボー)。
当時アメリカでしか売っていなかったヨギボーを日本で販売することを持ちかけ、日本のヨギボーの社長となった木村誠司さん。
今回は木村誠司さんの学歴や経歴を調査しました。
木村誠司さんのプロフィール
名前:木村 誠司(きむら せいじ)
出身地:大阪府大東市
生年月日:1975年10月8日
趣味:ポーカー
幼少期より商売人を目指し、20歳で独立した木村誠司さん。
現在は株式会社Yogiboの取締役社長を務めています。
そんな木村さんの学歴や経歴を調査しました。
木村誠司さんの学歴
木村さんのFacebookのアカウントを見つけたのですが、学歴に関する記載はありませんでした。
ですがインタビュー記事にてこのような一文を見つけました。
アホ高校に通っていたので、高卒で即社会人になるケースが多いわけです。
引用:INTERNET Watchホームページ
ご自身でアホ高校に通っていたということなので、小学校、中学校も地元の学校に通っていたのでしょう。
小学校
木村さんの出身地・大阪府大東市の公立小学校はこの12校です。
- 泉小学校
- 三箇小学校
- 四条小学校
- 四条北小学校
- 住道北小学校
- 住道南小学校
- 南郷小学校
- 灰塚小学校
- 氷野小学校
- 深野小学校
- 北条小学校
- 諸福小学校
小学校時代はスネ夫のような参謀タイプで、いざとなったら後ろに回るような子だったといいます。
悪知恵が働き、ビックリマンチョコのレアカードを転売してお小遣い稼ぎをしていたそうです。
小学生のときから商売がしたかったと語っていたのは、こういう経験があったからなのかもしれませんね。
中学校
大阪府大東市の公立中学校はこの8校です。
- 四条中学校
- 住道中学校
- 谷川中学校
- 大東中学校
- 南郷中学校
- 深野中学校
- 北条中学校
- 諸福中学校
両親が紳士服の縫製をする自営業だったことから、人の下で働くのではなく社長になりたかったそう。
中学生の頃から勉強はしなかったものの、社長になることは決めており商売の本をたくさん読んでいました。
本の実践編かはわかりませんが、修学旅行にて自分が撮った写真をカメラマンよりも安く売って儲けようと写真を取りまくっていました。
すると学校中のヤンキーに集団リンチにされたなんていうエピソードがありました。
学生なので、やっていることはよくないことかもしれませんが、自分で考え行動してかせぐまでの道のりがこの頃から出来上がっていたなんて驚きです!
高校
大東市内の高校で偏差値が50以下の学校は4校でした。
- 四條畷学園高等学校(私立) 偏差値44
- 太成学院大学高等学校(私立) 偏差値40
- 緑風冠高等学校(公立) 偏差値40
- 野崎高等学校(公立) 偏差値36
木村さんは自身の卒業校をアホ高校というぐらいなので、公立だった可能性が高いでしょう。
そうなると、緑風冠高等学校か野崎高等学校が木村さんの出身校かもしれませんね。
高校卒業時には友達に「いつ頃独立して商売やるの?」と聞いたところ、「何でそんなことせなあかんの?」と言われて驚いたといいます。
木村さんはいつかはみんな独立して商売をするものだと思っていたからです。
この時、自分の仕事に対するイメージがみんなと違うということに気がついたそうです。
日本ではサラリーマンの方が多く、自営業は全就労人口の10%程度しかいません。
そのため日本で生まれ育った多くの人がサラリーマンになることが多い中、木村さんは両親が自営業ということからこのような考え方になったのでしょう。
その結果、現在ではヨギボーの社長となっています。
そんな木村さんはどのようにしてヨギボーの社長になったのでしょうか?
木村誠司さんの経歴
高校を卒業して就職した木村さん。
就職先は明かされていませんが、手取り16万円の仕事に就き1年で辞めました。
会社を辞めた後は、土日にフリーマーケット会場で仕入れたものを販売していました。
仕入れたものはそこそこ売れていたものの、土日だけの販売であったため売上はたかが知れているほどだったといいます。
店舗設立
そこで、店舗を借りて商売を始めることにしました。
古着と雑貨を取り扱い、壁には赤い布を張って尖った感じのお店をオープン!
周りは洋服店が並ぶようなおしゃれな場所ではなく田舎にあったものの、流行の波に乗り売上は好調に!
周囲の学校の生徒たちは20~30分かけで自転車で買いに来てくれるようなファンもできたといいます。
広告は自分で絵を描いて印刷して、その辺に貼っていたそうです。
なるべくお金をかけずになんでも自分でやってしまうなんてさすがですね!
1997年頃、テレビ東京「ワールドビジネスサテライト」にインターネットで古着を売っているおばさんがいることを知り、「俺もできないわけない、やってみよう」と思ったそう。
そしてパソコンのことは何もわからない状態でネット販売を開始します。
パソコンを持っていた友達にホームページの作成を頼み、そのサイトで店舗にある在庫を売り始めました。
一点ものの古着を1着ずつ写真に撮って加工してサイトにアップロードをすると一瞬で売れたといいます。
ネット販売はお金をかけずに手軽にでき、店舗の掃除も必要なければ古着を展示してホコリや日焼けで変色することもないため、木村さんにとって理想な環境でした。
1999年頃には「あきない・えーど」という起業や経営を支援する組織のオープニングイベントに参加し、ビジネスプランをプレゼンするという職業があることを知ります。
そこで木村さんは現在の「電脳卸ドロップシッピング」というECサイトが在庫を持たずに商品を売るビジネスモデルの元を考えました。
このプランをビジネスプランコンテストに応募すると、3位に入賞。
ウェブシャーク設立
入賞した特典としてオフィスブースを無料で借りることができ、2001年8月にウェブシャークを設立します。
ビジネスモデルプランを元に設立した会社でしたが、思うように行かず赤字が続き責任を取って辞職まで考えていました。
8ヵ月目になるとようやく黒字になり、そこからはずっと黒字を維持しています。
ヨギボーの社長の会社はIT企業だったなんて驚きですね!
ヨギボージャパン設立
ファッションやインテリアや建築が好きだった木村さんは、海外のウェブサイトをよく見ており、そこでヨギボーのことを知りました。
ヨギボーのことが気になり購入してみたところ、よかったためもう一つ欲しくなったそう。
しかし、当時はアメリカから買っていたため商品が3万円で、送料に7万円もかかっていました。
日本で扱っている代理店がなかったことから、それなら僕が売ろう!とアメリカ本社の社長にメールで直談判!
上海でアメリカの社長と初対面し意気投合した結果、2016年に株式会社Yogibo Japanを設立し木村さんが日本でのヨギボーの社長となったのです。
そして2021年12月に全世界にあるヨギボーの販売店の7割が日本にあることから、アメリカの本社からの打診がありヨギボーを買収しました。
現在では会社の売上の99%がヨギボーによるものだといいます。
英語もしゃべれないのに、メールで直談判し直接会って交渉をするなんて、やはり根っからの商売人気質なんですね!
木村誠司さんの年収は?
木村さんの年収を調べてみましたが、公表されていませんでした。
ヨギボーの売上高は年々右肩上がりです。
2020年7月期売上高:95億円
2021年7月期売上高:168億円
2022年7月期売上高:212.6億円
会社の業績もいいので、木村さんの年収もすごい高額になっているのではないでしょうか。
会社の規模ごとの社長の年収はこのようになっています。
1000人以上の会社の社長:年収6771万円
300~999人の会社の社長:年収4410万円
300人未満の会社の社長:年収3295万円
会社の規模が大きいほど、社長の年収が高い傾向があります。
ヨギボーの従業員数は653名なので、木村さんの年収は4500万円ぐらいでしょうか。
業績が良いので、もしかしたら実際の年収はもっと多いかもしれませんね!
まとめ
今回はヨギボーの社長・木村誠司さんの学歴や経歴を調査しました。
幼い頃から根っからの商売人気質で現在に至ることがわかりました。
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